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芭蕾(バレー)

中国化粧品の代名詞的存在の老舗ブランド芭蕾(バレー)との出会いは、人生の分岐点に。真珠を知り尽くすコスメカンパニー芭蕾と真珠を追求する楊さちこの融合により生まれたのは、コスメ業界に大旋風を巻き起こした「美容粉(おこな)」だった。

芭蕾との出会い

私が今の人生を歩むきっかけになったのが芭蕾の真珠クリーム。
1980年、当時の私は旅行会社のツアーコンダクターを始めた頃で、最初の海外添乗が中国、上海の友誼商店という外国人専用のデパートの1階の漢方薬コーナーで、鹿の角や熊の胆などという高級漢方素材と一緒にガラスケースの中に陳列されていました。
「真珠って装飾品ではないの?どうして肌に塗るの?」と不思議に思ったことを覚えています。
後に中国に語学留学したときに、日本から持参していたスキンケアアイテムを使い切ってしまいました。その時は、次に日本に戻る2ヶ月後まで我慢しようと思ったのですが、気候の激しさに肌がざらざらになりました。それで、「そうだ!使ってみよう」と思い立ち手にした「芭蕾真珠膏」。ふたを開けたとたんにあまりにフローラルなニオイにビックリしました。でも、他に使うものがなかったので、息を止めて使ってみたのです。最初の感覚は、ベタベタしていてなかなか浸透しない感じに、ちょっと嫌気がさしました。でも他に使うものもないしという理由でそのままで次の朝を迎えたところ、紙やすりのようにざらざらしていた肌がいつまでも触り続けていたい感触になっていたのです。

中国化粧品ブーム

1990年に、香港からアジアの化粧品を紹介することになったときに一番に思い浮かべたのが、芭蕾の真珠クリームでした。中国国内では大反響のスキンケアブランドになっていて、種類も増えていました。日本では中華街などで欧米化粧品と遜色のないプライスがつけられていました。それを香港価格で日本に紹介したところ、洗顔後クリームひとつで大丈夫!というお手軽さと、キャビンアテンダントの口コミでも取り上げられるようになっていたのがあいまって、一大ブームになりました。

またそれがきっかけで、芭蕾の研究所の方たちとも知己を得、情報交換をするようになりました。
芭蕾の本社が南京にあったというのもご縁が続く始まりでした。

芭蕾のレシピ

芭蕾のレシピは、幾つになっても美しさを保っていた中国後宮の女性たちの美容法や、京劇役者の美容法がヒントになっています。
特に私が感動したのは、京劇役者は、毎日濃い化粧をするので肌荒れや素肌のくすみは当たり前だったのですが、世界的にも有名な梅蘭芳という役者さんが独自の美容法を編み出しその悩みをなくした・・・。その秘密が中医美容学での美容法だったということ。
昔ながらの美容法は、原料から整えて作り上げていくもので、良質の原料選びから加工から組み合わせていくには莫大な時間とお金が必要でした。防腐剤などなかった時代なので、1回、1回作らなければならないのですから。また、そのレシピは門外不出でもありました。
それを芭蕾は、手に入れたレシピをもとに当時の現代技術で、女性が使い続けられるようなプライスで、簡単に使えるクリームを作り上げたのです。
ただ塗るだけ!というこのアイテムの中にこんな秘密が隠されていたなんて、女性が、ひとつしかない自分の肌を守る為に使い続けたいと思うものを作り上げるのは、本当に大変なことだと思いました。

その芭蕾のレシピの基本はもちろん真珠。
真珠の働きを知り尽くしているので、スキンケアアイテムの形態にあわせて、真珠粉を使う場合、真珠からの抽出エキスを使う場合と分けているのも、肌への働きを考えた素晴らしいポイントだと思いました。

芭蕾美容粉

香港、日本で一世を風靡した美容粉。
芭蕾とわたしとで開発したアイテムでした。
朝昼晩24時間使えるアイテムとして、美容液が粉になったと大変もてはやされ、生産が追いつかないほどでした。
しかし、担当者の退職により、芭蕾では継続不可能になってしまいました。
とても残念だったので、私は自分で作る決心をしました。